同期の勉強会が挫折しかけている。いやもうすでに挫折したと言ってもいいかも知れない。4人で去年の11月から始めた勉強会、今まで月1〜2回開催で順調にやってきた。回を重ねるにつれ、この半年間の間で劇的におかれている状況が変わってきた。新人として支社に配属された直後の10月、まだ格付の何たるかも分からず、現物の開け閉めに追われる日々、私たちはもっと財務の勉強をしたいと心から感じていた。折しも研修では財務分析に時間が割かれ、短いながらも同期と議論を交わし「面白い」と素直に思った。それから半年、私たちは4人で集まり、計8回にわたって勉強会を続けてきた。その間すでに一人はRMとして何社もの取引先を担当し、私も課内で欠かせない存在としてなりつつあるなど勉強会の内容がますます日常業務に身近なものになりつつある。
しかしながら、そのような状況でますます財務や市場動向に関心が向くメンバーがいる一方で、そうでないメンバーもおりそれぞれの方向性が揺らぎ始めた。発案者である私自身としても、この勉強会に素直に注力してきたとは言いがたく反省する点も多々ある。ここでひとまずピリオドを打って、私がこの会で何を目的としていたか、これからどういうことをしたいと思っているのかをまとめておこうと思う。
【そもそものきっかけ】
思い返せばそもそものきっかけは、「志の高い同期を集めたい」というものだった。もちろん、私の会社に集まっている同期は、それぞれに個性があり能力が高く尊敬する人間ばかりである。しかしながら、そのベクトルは様々である。体育会系でスポーツをばりばりやってきて、休日も練習に追われつつ日々の業務ではチームで結果を出すことに長けたものもいれば、大学院までファイナンス理論の研究を追求してきて、就職後もそれを続けるものもいる。海外勤務を目指し語学学校に通うものもいる。飲み会や合コンで社交力を磨いているものもいる。そんな同期に囲まれて、私がやりたいことは何か、それを考えた結果、考え至ったのが勉強会だった。大学で所属した学生団体では、複数人でチームを作って、社会問題や開発の課題を議論したり、企画を立てたり、事業運営をしたりとしたことをやってきて、そういった活動が好きだった。そういった自分の強みを生かして、同期なり組織に貢献したい、あわよくば自分と言う存在をアピールしたいと考えていた。そして胸襟を開いて将来のことを語り合える友人ができたらと思っていた。4人が揃うまではそれほど時間はかからなかった。顔ぶれが揃い、最初に神谷町のスタバに集まってこの勉強会は始まった。
「財務分析」と「市況分析」
勉強会を2本だてにしたのは、私が一銀行員として、企業財務とマーケットどちらも興味をもっているからである。そもそも私が金融機関で働こうと考えた理由は、金融と言う分野が、どんな産業にも関わる業界であると同時に、地球の裏側で起こる出来事を常に踏まえながら目の前の仕事に取り組む、俯瞰的でありかつダイナミックな業界だと考えたからだ。目の前の企業と向き合うことと、地球の裏側の出来事に目を配ることは、相反することのようで、じつは車の両輪であると考えている。だからこそあえて2つを柱にした。裏の意図としては、どちらかに偏るであろうメンバーの興味を補完する目的もあった。ベースとしては「藤戸レポート」と「大津本」を用いた。どちらも私たちのレベルと興味に合致する内容であり、この選定は間違っていなかったと思う。
【反省点】
1.会の趣旨はしっかり共有できていたか?
上記のような経緯と目的で始めた勉強会だったが、結果として会の趣旨は十分に達成されなかった。半年で収束しつつある状況を考えると、惹き付けるなにかが会としては不十分だったと言わざるを得ない。
2.取り上げたテーマは適切だったか?
同期として共通のテーマを設定したものの、会が進むにつれて微妙な方向性のすれ違いもあり、満足のいかないメンバーもあったようだ。大津本についてはもちろん課題図書自体として良書であると認識しているが、(1)間延びしてしまったこと(2)準備ができていない時があったこと(3)誰が仕切るのか曖昧であったこと、といった運営面でその可能性をフルに生かしきれていないと言わざるを得ない。藤戸レポートについては、レポート自体は面白いものの、毎回関連テーマを議題として直前に提示するのみで、感覚としては単発、最後の方は流し読みでそれほど議論が盛り上がらなかった。体系だっていないがために、面白い議論が始まることもあれば、堂々巡りで終わることもあり、狙いの市況分析はできていなかっただろう。
3.運営面での足かせはなかったか?
まず、メールの一斉送信では限界がある。話し合いも盛り上がらないし、そもそも不便である。Facebookのような場所で早めにプラットフォームとなるものを作っておくべきだった。私がおっくうな性格のため、他にウェブ方面に明るいメンバーが不在だったことが、反省点である。また、メンバーのスケジュール調整にも毎度頭を悩まされた。私は取りまとめ役だったので、誰が足を引っ張っている訳ではないことが把握できるのだが、他の参加者にとっては自分の都合で延期になるとあたかも自分が足を引っ張っていると感じていたかと思うと、申し訳なく思う。その意味で、もっと運営をシームレスにしておくべきであった。次に再開する時は、はじめからブログかグループページを作っておこうと思う。
4.開催日時、場所は適切だったか?
休日のみの開催で土日の午前に設定したのはまずまずであった。夜は各自予定があるだろうけれど、午前であれば集まれるし、なにしろ時間を有効に使える。欲を言えば朝食を一緒に食べながら、といった会にしたいものだ。場所は、ほぼ六本木のTSUTAYAスタバ併設店を使った。これには賛否両論ある。確かに雰囲気がよく休日を過ごすにはもってこいの場所であったが、同じ場所を使いすぎたきらいはある。席も狭く本を広げるには不十分だった。一番の反省点は、定期開催ができなかったことだ。次の日程を決めるのを忘れたり、欠席者がいたりすると、主催者がスケジュール調整を担う必要が生じ、正直億劫であった。このような状態だと、早晩スケジュール調整がいきづまり定期開催が難しくなることは明らかで、事実その通りになってしまった。調整については、「ちょーすけ」やGoogleカレンダーを使う等もっと工夫する必要があるように思う。早急なカイゼンが必要だ。
5.参加者の範囲は限定的しすぎだったろうか?
4人で十分だったか、確かに議論は活発化した。しかしながら、結果を思うとなんともいいがたい、苦い感じである。もっと広くオープンにしても良かったのではないだろうか? どちらにせよ同期であるし、休日は皆予定があり、広く声かけしても、会の趣旨が満たされぬほどの人数が集まるとは思えない。それよりも広く同期の間に自分たちの集まりの存在を知らせた方がメリットになるのではないか。運営面でしっかりと定期開催ができるようになれば、人数は4人以上でもうまくいくはずである。ただし人数が多いと、議論の積み重ねから生まれるある種の共通体験を共有できないこともあり、議事録等で議論の積み重ねを共有することが課題である。
6.ファースト・フォロワーを大事にできたろうか?
私が一人で主催するような形にせず、最初の4人をうまく企画側として同じ立場で協力をあおぐべきだった。たとえば、告知を輪番にするとか、テーマ設定を他に任せるとか。一から十までお膳立てしたことで逆に自分が動かなければ会が回らないと言う状況になり、それではうまくいかないことがはっきりした。これからは、この点に気をつけようと思う。
【結びとして−結局のところ何がしたいのか】
勉強は一人一人が個人的にするものである、という考えは大学生を筆頭に世間一般に広まっている考えだと思う。こういうと反論があることは承知の上であるが、およそ勉強と言うものは、受験にしたって語学学習にしたって、人様の目に見えないところで個人的に努力するもの、と言う意識が私達にはあるのではないだろうか? 事実私自身がもともとそういう考え方だった。小学校から始まった受験勉強は、塾の友達とつるむということは極力避け、静かに勉強し、家では黙々と問題に向かい、テストで誰もたよりにできない場所で結果を出す、ということを繰り返してきた。中学受験に限らず、高校受験や大学受験を経験した人にとってはそういう感覚が大きいのではないだろうか。つまり、勉強しているなんて姿を友人に見せるのは愚の骨頂で、スポーツ等学生生活を謳歌しながら、人知れず勉強し結果を出すこと、それこそがカッコいい。特に、東大生などにはそうして入学してきたものも多く、勉強が得意でありながら、そういった姿を人に見せたがらない人が多い。私もそういうタイプだった。
しかしながら、浪人時代を経てそれが大きく変わった。浪人時代も黙々と勉強していたものの、その姿は隠さずにいた。つまり、がむしゃらな姿を友人に見せつつ勉強したのだ。高校の同級生には格好の悪い奴にみえたに違いない。彼らはクラスの後ろに座り、なるべく目立たず、授業後もさっさと帰り、家で勉強することで結果を出すようなタイプだったから。その点、私は予備校の閉まる最後まで居座り、朝もなるべく早めにくるようにしていた。そういう姿をみせていると不思議なことに友人が徐々にできるようになった。もちろん、試験で好成績を出せたことも大きかったものの、人は素直にひたむきな人間とか自分と志を同じくする人間に惹かれるということを肌で感じることができたのだ。浪人時代の後半では、そういった仲間と励まし合い、教え合ったり、センターの模擬試験を一緒に解いたりといった形でとても楽しく過ごすことができた。結果としても、目標の大学に入学でき、今でも一緒に集まるかけがえのない仲間ができた。
結局、勉強もスポーツと同様、共同作業なのだ。高校生の頃までの自分には、勉強が共同作業であるとは考えもしなかった。それは友人に限らず、先生や両親、そして試験の先にいる見えない出題者まですべてをひっくるめての共同作業なのだ。
こうした成功体験を経て、勉強を一緒にやることへの楽しみが自分の中に染み付いた。さらに大学におけるゼミや、学生団体での活動を経て、それが非常に大きいものになっていった。浪人時代、一足早く大学生になって友人が、「シケプリ」とよばれる試験対策資料や試験の点数ばかりを気にする姿を見て「点数ばかりを語る大学生にはならない」と手帳に記した。社会人になった今も、同様のことを考えている。「学歴や資格ばかりを語る社会人にはならない」。確かにそれらは社会的に重要であるのは事実である。しかし、結果としてそれが与えられれば十分であって、目指すものでは決してない。私はそれに至るプロセスの方を重視したい。一人真面目に静かに参考本に向き合うより、仲間と集まり議論しながら勉強する方が、はるかに自分にとっては重要で、チャレンジングである。これから様々な困難や、芳しくない出来事が突きつけられようとも、ここは一つ頑張ってみたい。
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