2011年1月2日日曜日

謎の空白に生きる





[年の瀬の気づき]
私は2010年の4月からとある銀行で働き始めた。

働き始めると大学時代とは様変わりして、平日は朝から夜まで仕事の予定が詰まっている。金融機関は情報管理に厳しく私用と仕事用の手帳を分けるよう要求されるため、それまでスケジュール管理に使用していた私用のシステム手帳を使わなくなり、平日の予定はOutlookで、休日はiPhoneで簡易的に管理するようになった。

また、職場では毎日業務の記録をつけるよう要求される。4月1日に入社してからというもの、新人研修という名目でさまざまな部署に席を置かせてもらい、いろいろな業務を学ばせてもらったが、その間も文字通り一日も欠かさず業務日誌をつけていた。


年の瀬のある日、私は時間ができたので今年の振り返りでもしようとOutlookをさかのぼり、日誌をめくり過去の記録を読み返していた。

「結構仕事したなー!」

まだ新人なので大した仕事をしてるわけではないのだが、配属されて初めての朝、支店の1Fロビーで「いらっしゃいませ!」と緊張しながら声を張り上げていた日からすると、隔世の感がある。だが、そうやって回想しながらOutlookを見返しているうちにふと気付いたことがある。


「あれ?この空白は何だろう?」


ところどころに空白の日がある。

ちょっと考えて気がついた、その日は平日の間にぽっかり空いた祝日だったのである。よくよく画面を見ると、毎週のことながら土日も空白だ。もちろん仕事用の予定表の祝日や土日が空白なのは当たり前である。昨今の金融機関は情報管理が厳しくなって仕事の持ち帰りはできないし、休日は支店は施錠されているため、休日出勤もできない。ゴルフでもしない限り、そんな日に予定が入れられているはずがない。


私が気になったのは、その空白に私は何をしていたのか?という点だ。


「謎の空白」


もちろん、iPhoneのスケジューラーやtwitterのつぶやきを見返せば、なんとなくその日していたことを思い出すことができるだろう。だが、それらは情報の洪水の中で埋もれてしまう。Outlookにも業務日誌にも残っていないこの空白の時間に私は何をして何を考えていたのだろうか?


私がブログを開設する目的は、この「謎の空白」たる週末を何らかの形で書きとどめておきたいと感じたからである。




[謎の空白時代]

実は「謎の空白」という言葉は立花隆氏の文章から引っ張ってきたものだ。高校の教科書にも載っているというので読まれた方も多いと思うのだが、彼は『青春漂流』のエピローグにおいて空海の「謎の空白時代」を描いている。せっかくなので、ここで一部紹介しておこう。




―――引用―――
いまを去る1,180年前、空海は平戸の田浦港から遣唐使船に乗って中国に渡った。
田浦で船の纜(ともづな)を解いたから、「解纜」法要なのである。
ときに空海は31歳だった。
四国の讃岐出身の空海は、18歳のときに京に出て大学に入った。
大学というのは、貴族階級の子弟の教育機関で、古代のエリート教育機関である。
しかし空海は、せっかく大学に入ったのに、ほどなくしてドロップアウトしてしまう。
そして、乞食同然の私度僧(自分勝手に頭を丸めて坊主になること)となって、
四国の山奥に入り山岳修行者となる。
これ以後、31歳の年に遣唐使船に乗り込むまで、
空海がどこで何をしていたのかは明らかではない。

「謎の空白時代」といわれる。
山野をめぐり、寺院をめぐり、修行に修行をつづけたと推定されるだけである。
それがいかなる修行であったかは明らかでない。
彼が遣唐使船に乗り込むにいたった経緯もまた明らかではない。

ただ一つはっきりしていることは、彼がその直前まで私度僧であったことである。
空海は留学僧として遣唐使船に乗り込んだ。しかし、留学僧になれるのは、
正式に出家した僧だけである。そこで空海は、遣唐使船に乗り込むほんの一カ月ほど前に、
あわてて東大寺で正式の出家を果すのである。その記録が東大寺に残っている。
遣唐使船に乗り込んだ空海は一介の無名の留学僧にすぎなかった。
彼に注目する者は誰もいなかった。

しかし、唐の地に入るや、空海はたちまち頭角をあらわす。
十年余にわたる彼の修行時代の蓄積が一挙に吐き出されて、
唐人から最高の知識人として遇されるにいたるのである。
密教の権威、恵果阿闍梨をして、門弟の中国人僧すべてをさしおいて、
外国人たる空海に、密教の全てを伝授しようと決意させるほど、
空海に対する評価は高かった。

「謎の空白時代」に、彼がどこで何を修行していたかは明らかでない。
しかし、その修行がもたらしたものは、歴史にはっきりと刻印されている。
唐に滞在したわずか一年余の間に、空海は名もなき留学僧から、
密教の全てを伝えられた当代随一の高僧となる。
それは、留学の成果というよりは、「謎の空白時代」の修行の成果が、
留学を契機に花開いたものというべきであろう。

「謎の空白時代」は、空海の青春である。
―――引用終―――



この文章の中で立花隆氏は「人は誰でも世に知られるようになる前に、その間どのような人生を送っていたか人に知られない謎の空白時代があるものだ」ということを述べている。

私は自分自身を当代随一の高僧として歴史に名を残した空海に投影しようなどという傲慢な気持ちはこれっぽっちもないが、立花隆氏のこの言葉は心に響くものがある。無名の一会社員として働き始め、家族とも友人とも常に行動を共にしているわけではない現在の私は「謎の空白時代」を生きていると言えなくもない。

ただし、私は「謎の空白時代」を誰かに知ってもらいたいからブログを書くのではない。このブログだって、あふれる情報の洪水に人知れず埋もれてしまうだろう。なぜなら、それは私が「謎の空白時代」に生きているからである。


「謎は謎のまま、空白は空白のままでいいのだ」


という気楽な気持ちで、ひっそりと続けられればと思っている。

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