2011年1月16日日曜日

年明けの講座

同期勉強会の文献を紹介しておこうと思う。課題図書は、
大津広一「戦略思考で読み解く 財務分析入門」(ダイアモンド社)

この本は、ある同期から勧められたものだ。自分自身は、書評やブログ、店頭で見かけた記憶はなかったのだが、内容を見てみたところ、BS、PL財務分析に関わる基本的な指標を章毎に取り上げており、決算書と向き合い始めた私たちにとって適当な内容だったので、課題図書として取り上げることとした。

今週はこの第3章「損益分岐点比率」に取り組む予定だった。取り組むというのは章末にクイズが設けられていてそれに取り組むということである。第3章はトヨタ。なお、本文ではソニーの損益分岐点比率について考察、分析を加えている。

今週は、同期勉強会を開催する代わりに以下の講座を受講した。
講師は五十嵐敬喜氏(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)
テーマは「2011年日本はこうなる~経済・金融を見る眼」
3時間の講座だったが面白くあっという間だった。特に気になった点を挙げておこう。


・相場変動の予測は中長期には意味があるが、短期は意味なし。
相場と呼ばれているものは、実需の反映だけでなく、今後値段が上がるかがるかの予測が反映されていて、みんながどう思っているかの総結集である。変動を予測するとは、みんなは知らないけれど自分は知っている材料があってはじめて成り立つ。一日二日先のことでそういった材料など無きに等しいが、より不確実性が増す一年先であれば、それなりに取り組む意味がある。


・現在の為替水準は安いのか高いのか
足下の名目実効円レート/ドル円相場は15年ぶりの高水準。ただし、物価を加味した実質実効円レートでは円高とは言えず、むしろ大幅な円安。とはいえ、輸出企業がこの円高で悲鳴を上げているのも事実。そこで輸出企業から見た実質実効円レートを算出すると、大幅な円高となる。


輸出企業から見た実質実効円レート=名目実効為替レート×日本の消費者物価÷日本の輸出物価(外貨建て)
一般的な実質実効円レート=名目実効為替レート×日本の消費者物価÷海外の消費者物価

ちょっとレートに関してはにわかなのであまり詳しくは語れないが、海外で物価がこの15年で5割上がっている間にデフレ日本の物価は変わっていないので、物価を加味した実質実効レートでは大幅円安と言え、海外の人にとって日本製品は「買いやすく」なっている。海外の物価が上がっているにもかかわらず、日本製品の輸出価格は新興国の台頭などの影響で2割下がっている。このため、輸出企業は相当苦しい状況に置かれているという指摘は、示唆的に思えます。

あと為替については、ドラスティックに1ドル200円300円もあり得るとおっしゃっていたのが気になる点。


・GDP成長率と生産年齢人口の関係
日本経済の長期低迷要因として以前よく言われていたのが、バブル崩壊後に企業が借金返済及び自己資本比率を上げるため設備投資を控えたバランスシート調整による不況であるという説明。だが、10年以上経った現在でも低迷が続いている現在、それでは説明つかなくなっている。そこで最近は藻谷氏の「デフレの正体」でも話題となったように、人口減少と経済成長の関係が注目されている。特に五十嵐氏が指摘していたことは、生産年齢人口(15歳から65歳の現役世代)の減少とGDP成長率の鈍化との相関性。需要の減少によって供給過剰の「需給ギャップ」が生じており、それがデフレの主因とする。

解決すべき課題としては、急速な高齢者層の増加(需要側の変化)に対し、企業のモノやサービス(供給側)が対応できていない、という点だ。つまり、需要構造に対応しきれずいまだに「ものづくり神話」にしがみつく産業構造に問題があるとする。

この指摘は、中期的には回避不可な人口動態にメスを入れる従来の少子化対策の議論をこえて、人口動態を所与のものとして、産業構造の転換に解決策を求める点でより生産的な指摘である。さらに、高齢者層が喜んで資産を使おうと思わせる魅力や安心を提供することが求められているという指摘は、まさに自分が日ごろ実感していることで、おもしろかった。


・日本はマーケティングが下手
次は外需。よく最近言われることに韓国と比べて日本の製造業はマーケティングが下手、というものがある。目新しいキーワードは「過剰品質」で、日本製品は品質や機能が高いことが誇りだが、新興国市場では必ずしも日本人に求められる水準は要求されず、過剰であるとの指摘。品質の高さで新興国市場で成功している成功事例から容易に反論することは可能だが、なんでも日本流を貫けば良いものではないことには一理ある。


以上が講座の振り返り。本当は疑問や反論を整理したいが納得する部分も多く、まだまだである。アウトプットの機会も定期的にみつけていきたい。


2011年1月9日日曜日

今年やりたいことリスト


新年ということもあり今年やりたいことリストを作ってみた。



去年は新しい環境に入ったからという言い訳は抜きにして「準備不足」を痛感する一年だった。何事も最初の一歩が一番重いものだが、まさに去年はそれだった。旅行にしろ勉強にしろ仕事にしろ、行き当たりばったりで計画性がまるでない。周りに流されっぱなしの一年だった。なので今年は自分から動いてみようと思う。抱負は「入念な準備をしてシナリオを描く」企画したり人を巻き込んだり、前々から準備をして一年を楽しみたい。


<今年やりたい8つのこと>

(1)The Economist誌の購読を習慣化する




















アメリカ シカゴにて

今年は、この雑誌に目を通す習慣をつけることが目標。去年ChicagoのNorth Western Univ.に通う友人のシェアハウスに泊めてもらったとき、この雑誌が共有のトイレに雑然と積まれてて驚いた。米国の大学生はトイレで読むような雑誌なのか。

The Economistはイギリスが発行する国際情報誌であり、その記事のカバーする範囲はビジネスに限らず政治、文化、科学、芸術と多岐にわたる。また、「国際誌」というようにイギリスに限らず全世界の主要な出来事や政治経済の事情を質の高い記事で提供している。

硬めの雑誌だが、記事の内容は掛け目抜きに面白い。駒場にいるとき、この雑誌が図書館の研究誌スペースにひっそりと置かれているのを発見し、何度か記事を習慣的に読もうと試みたことがあるが一記事も通読できず失敗した。
今回は、会社のBenefit Stationのpointで安く購読できるとわかり10月から購読しだした。購読に関して注目のポイントとしては、The Economist誌はiPhoneやiPad向けのアプリを提供しており、購読するとなんと全記事の音声データが付いてくることだ。英語の学習にももってこいというわけである。

トイレの合間に読むレベルを目指したいものだ。



(2)お気に入りのJazz Bar/Cafeをみつける

先日、上原ひろみのJAPAN TOUR 2010に行ってきた。


圧巻。Jazzに限らず音楽は好きなのだけれど、なぜかJazzには感動させられて特に好きである。高校の頃、Keith JarrettのThe Koln Concertのアルバムは衝撃的だった。お茶の水の塾への行き帰りずっと聴いていた気がする。それからJazzは気になるジャンルになった。僕の音楽の聴き方は「ながら聴き」だ。新たな音楽への出会いを求め、今年はそういう音楽を聴かせてくれるお店を見つけたい。


(3)一泊以上の登山

確か、前回泊まりで登ったのは2年前の八ヶ岳が最後だった。それ以降も、夏季はちょくちょく奥多摩や秩父の山に登ったが日帰りだった。今年は仲間を見つけて、一泊以上でより奥地の山に登りに行きたい。都会のジャングルにもまれていると自然が恋しくなるもの。自然は厳しくもあり癒しでもある。


(4)同期勉強会
実は同期の有志4人で週末の朝勉強会を始めた。2010年で4回、11月に始めたにしては順調なペースだ。大体月一~二のペースで、六本木ヒルズにあるStarbuckとTSUTAYA併設店で開催している。朝はすがすがしい日の光が差し込み、とても気持ちがよいのでおススメ。内容は、2つの柱で進めている。

1.市況分析
「藤戸レポート」(三菱UFJ証券)を題材にして、
各国の金融政策や商品市場の動向について議論する。議論とは言え、皆勉強を始めたばかりのペーペーなので、藤戸氏の分析を読んだ上で疑問点を共有し合い、それぞれが見解を述べる形で進めている。

2.財務分析

大津広一「戦略思考で読み解く経営分析入門」に沿って、
毎回各章のクイズに取り組む。ユニクロの売上総利益率から始まり、ベネッセの売上営業利益率、次はトヨタの損益分岐点比率。決算書の数字を読み解くことが主眼なので、実際の決算書に向き合いだした僕たちにとっては絶好の教材である。

この勉強会を新たなトピックや課題図書を提供しながら、立ち消えにせず発展的な形で来年まで続けることが目標だ。さらに言えば、興味のある新たな同期に声かけしたり、会社の垣根を越えた買いをつくってもよいと思う。


(5)米国西海岸旅行

今年の夏は、アメリカ西海岸に行くことに決めた。世界のイノベーションの発信源、ビジョンと熱意にあふれた起業家のオアシス。現地で開催されるイベントや、留学中の知り合いの予定をリサーチしつつ、西海岸の雰囲気を存分に味わいに行きたい。


(6)「世界飯」企画


ネパールのナラゲシコフタ
「東京で世界の料理を食べつくそう」ということで、中学からの親友と始めるこの企画。一年で世界中のメジャーマイナー含め美食を制覇し、食でも世界一周してやろうかなと。幸いにも、東京は世界中の料理が楽しめるレストランが揃っている。前回はプレ企画として、渋谷のネパール料理店「カンティプール」に行ってきた。(時間があればレポートをアップ予定) その国にゆかりのあるゲストも招きつつ、いろいろな知り合いに声をかけて楽しもうと思ってる。


(7)テニス仲間をつくる


テニスがしたい。ただそれだけなのだが、都内でテニスコートを確保するのは結構億劫なもので、いつも先延ばしでいるうちに時間が過ぎてしまう。中高大とテニスを通じて知り合いが増えたので、仲間は集まりそうなものだが、足が動かない。



(8)英語のDiscussionができる集まりに参加する

先月12月の頭にとあることから英語のDiscussionに参加した。TopicはIgnorance is bliss...?(知らぬが仏) WikiLeaksについてだった。参加者は大学生ばっかり5人だったのだが、自分の口からちゃんと意見が出てこなくて唖然とした。話す機会がないと、上達しないのは当たり前。自分で企画する、、、とはいかないまでも、何らかの形で定期的にDiscussionに参加したい。



以上8つが2011年中に実現したいことだ。最初の一歩さえ進めば、順調にいけるように思う。若干欲張りな気もするが、勉強会や世界飯企画はもうかなり進んでいることを踏まえればそれほどでもないだろう。ブログのコンテンツもこの8つを軸に進めていくつもりである。まあ、ブログの更新が自分にとっては最大の難関な気がするが。。

2011年1月2日日曜日

謎の空白に生きる





[年の瀬の気づき]
私は2010年の4月からとある銀行で働き始めた。

働き始めると大学時代とは様変わりして、平日は朝から夜まで仕事の予定が詰まっている。金融機関は情報管理に厳しく私用と仕事用の手帳を分けるよう要求されるため、それまでスケジュール管理に使用していた私用のシステム手帳を使わなくなり、平日の予定はOutlookで、休日はiPhoneで簡易的に管理するようになった。

また、職場では毎日業務の記録をつけるよう要求される。4月1日に入社してからというもの、新人研修という名目でさまざまな部署に席を置かせてもらい、いろいろな業務を学ばせてもらったが、その間も文字通り一日も欠かさず業務日誌をつけていた。


年の瀬のある日、私は時間ができたので今年の振り返りでもしようとOutlookをさかのぼり、日誌をめくり過去の記録を読み返していた。

「結構仕事したなー!」

まだ新人なので大した仕事をしてるわけではないのだが、配属されて初めての朝、支店の1Fロビーで「いらっしゃいませ!」と緊張しながら声を張り上げていた日からすると、隔世の感がある。だが、そうやって回想しながらOutlookを見返しているうちにふと気付いたことがある。


「あれ?この空白は何だろう?」


ところどころに空白の日がある。

ちょっと考えて気がついた、その日は平日の間にぽっかり空いた祝日だったのである。よくよく画面を見ると、毎週のことながら土日も空白だ。もちろん仕事用の予定表の祝日や土日が空白なのは当たり前である。昨今の金融機関は情報管理が厳しくなって仕事の持ち帰りはできないし、休日は支店は施錠されているため、休日出勤もできない。ゴルフでもしない限り、そんな日に予定が入れられているはずがない。


私が気になったのは、その空白に私は何をしていたのか?という点だ。


「謎の空白」


もちろん、iPhoneのスケジューラーやtwitterのつぶやきを見返せば、なんとなくその日していたことを思い出すことができるだろう。だが、それらは情報の洪水の中で埋もれてしまう。Outlookにも業務日誌にも残っていないこの空白の時間に私は何をして何を考えていたのだろうか?


私がブログを開設する目的は、この「謎の空白」たる週末を何らかの形で書きとどめておきたいと感じたからである。




[謎の空白時代]

実は「謎の空白」という言葉は立花隆氏の文章から引っ張ってきたものだ。高校の教科書にも載っているというので読まれた方も多いと思うのだが、彼は『青春漂流』のエピローグにおいて空海の「謎の空白時代」を描いている。せっかくなので、ここで一部紹介しておこう。




―――引用―――
いまを去る1,180年前、空海は平戸の田浦港から遣唐使船に乗って中国に渡った。
田浦で船の纜(ともづな)を解いたから、「解纜」法要なのである。
ときに空海は31歳だった。
四国の讃岐出身の空海は、18歳のときに京に出て大学に入った。
大学というのは、貴族階級の子弟の教育機関で、古代のエリート教育機関である。
しかし空海は、せっかく大学に入ったのに、ほどなくしてドロップアウトしてしまう。
そして、乞食同然の私度僧(自分勝手に頭を丸めて坊主になること)となって、
四国の山奥に入り山岳修行者となる。
これ以後、31歳の年に遣唐使船に乗り込むまで、
空海がどこで何をしていたのかは明らかではない。

「謎の空白時代」といわれる。
山野をめぐり、寺院をめぐり、修行に修行をつづけたと推定されるだけである。
それがいかなる修行であったかは明らかでない。
彼が遣唐使船に乗り込むにいたった経緯もまた明らかではない。

ただ一つはっきりしていることは、彼がその直前まで私度僧であったことである。
空海は留学僧として遣唐使船に乗り込んだ。しかし、留学僧になれるのは、
正式に出家した僧だけである。そこで空海は、遣唐使船に乗り込むほんの一カ月ほど前に、
あわてて東大寺で正式の出家を果すのである。その記録が東大寺に残っている。
遣唐使船に乗り込んだ空海は一介の無名の留学僧にすぎなかった。
彼に注目する者は誰もいなかった。

しかし、唐の地に入るや、空海はたちまち頭角をあらわす。
十年余にわたる彼の修行時代の蓄積が一挙に吐き出されて、
唐人から最高の知識人として遇されるにいたるのである。
密教の権威、恵果阿闍梨をして、門弟の中国人僧すべてをさしおいて、
外国人たる空海に、密教の全てを伝授しようと決意させるほど、
空海に対する評価は高かった。

「謎の空白時代」に、彼がどこで何を修行していたかは明らかでない。
しかし、その修行がもたらしたものは、歴史にはっきりと刻印されている。
唐に滞在したわずか一年余の間に、空海は名もなき留学僧から、
密教の全てを伝えられた当代随一の高僧となる。
それは、留学の成果というよりは、「謎の空白時代」の修行の成果が、
留学を契機に花開いたものというべきであろう。

「謎の空白時代」は、空海の青春である。
―――引用終―――



この文章の中で立花隆氏は「人は誰でも世に知られるようになる前に、その間どのような人生を送っていたか人に知られない謎の空白時代があるものだ」ということを述べている。

私は自分自身を当代随一の高僧として歴史に名を残した空海に投影しようなどという傲慢な気持ちはこれっぽっちもないが、立花隆氏のこの言葉は心に響くものがある。無名の一会社員として働き始め、家族とも友人とも常に行動を共にしているわけではない現在の私は「謎の空白時代」を生きていると言えなくもない。

ただし、私は「謎の空白時代」を誰かに知ってもらいたいからブログを書くのではない。このブログだって、あふれる情報の洪水に人知れず埋もれてしまうだろう。なぜなら、それは私が「謎の空白時代」に生きているからである。


「謎は謎のまま、空白は空白のままでいいのだ」


という気楽な気持ちで、ひっそりと続けられればと思っている。