2011年3月27日日曜日

一年間の振り返り

【振り返り】
就職して1年が経った。やはり社会人になってみると、目の前の課題におわれ、過去のことをのんびりと振り返っている時間はない。そう思うと、学生時代にたっぷり時間を使って振り返った自分の過去は貴重である。



【趣味と趣味にまつわるエピソード】
気づいたとき山に時々登りに行く。高校の部活で冬山にも登ったことがある。高三の春に友人と東京都最高峰の雲取山に登った時は大変だった。3月とはいえまだ山は雪世界、登り始めはいいものの目的の幕営地になかなか着かず、日が暮れて吹雪いてきた。僕たちは必死でたどり着きなんとかテントを張ることができた。テントの中の水が凍る程寒かったが、晴れた時は最高に気持ちが良い。やっと登った頂上からは東京都が一望出来た。

【 特技と特技にまつわるエピソード】
テニスである。中高6年間練習し大学でも時々していた。昨夏シカゴ郊外のノースウェスタン大学で友人とやった。あちらの大学のコートは早い者勝ちである。予約なんて面倒くさいことはなくやりたい人が好きなだけやる。当然、確保出来ない人もいるからそこは譲り合って一緒にやる。大学の関係者だけでなく地元の人も自由に使える。僕もその場で知り合ったおじさんとゲームをしたが負けてしまった。テニスは生涯スポーツ、奥が深い。


【自分の半生を振返り、自分が成長したと感じる3つの出来事】
「出来事1」
高校の文化祭における映画制作
母校は秋の文化祭に力を入れている高校で、高一では密度の濃い短編作品を集めた映画の総責任者をやった。企画を指揮しまとめる立場に就いたのははじめてで、夢中になって取り組んだ。

しかし僕はここで大きな失敗をした。映画制作は脚本、キャスティング、撮影・編集のほか、映画館となる劇場を作る。そうした一連の作業を40人のクラスで分担して進める。僕には一つの腹案があった。10人の大きなチームでクラスを4つに分けフラット型にするのである。TVで知った「全員がリーダーになる理想の組織」のアイデアだった。

しかし理想と現実は違った。10人ものチームだと責任があいまいになった。1人1人のすべきことまで頭が及ばなかった。結果仕事が進まない。映画はなんとか完成したものの、劇場は前日仕上げたお粗末なものだった。

「人と協力して企画を実現するのはかくも難しい」
役目を終えた僕は粗の目立つ劇場でそれを思い知ったのである。


「出来事2」
海外インターンを運営する学生団体での活動
どこかであきらめていたら、後味の悪いもので終わっていただろう。3ヶ月間建機レンタルの中小企業にスウェーデンから学生を受け入れたインターンは最も苦労した。

まず開始2週間前になって学生のビザが問題となった。今のビザでは研修ができないというのである。寝耳に水だった。学生は既に来日していた。僕たちは受入企業や事務局、関係団体と協議し、入管に書類を提出することでなんとか開始出来た。

次に出てきた問題は企業からの突然の中止勧告である。当初私たちは、日本語のできる学生と好意的な受入企業に甘え、研修開始後は任せきりであった。その結果学生の朝の掃除への不参加から始まるささいな行き違いが大事に発展した。

私たちはすぐに出向き副社長から現状を聞き、学生とすしを食べて不満を聞いた。1週間待ってもらい、営業部署での研修と社内英語教室を提案して続行できた。

落とし穴はある。それにはまってもあきらめないことを学んだ。


「出来事3」
大学四年の夏に行った世界一周の一人旅
一人旅であるから日程や目的地は全て自分で決める。試験の次の日から内定式前日まで2ヶ月半の予定で日程を組み、中国から入ってインド、中東、ヨーロッパ、南北アメリカを渡った。

泊まる場所や現地で会う人も自分で決めるから当然困難にも直面する。インドでは初日の宿が見つからず暗い夜道をさまよった。

しかし現地での偶然も取り込まなければ面白い旅はできない。ヨルダンでは砂漠の民ベドウィンの家に泊まり結婚式に参加した。

文化も言葉も異なる人々と出会い、世界は広くそこにあった。コロンビアやアメリカの友人は最高のホスティングをしてくれた。

一周回って自分は自分の土俵で勝負するのだと覚悟を決めた。世界には美しく暮らしやすい土地もあれば、人々が仕事と金を求め必死な土地もあった。どんな土地でもそこには人がいた。人生を真剣に考え、毎日を一生懸命生きている人は輝いていた。

逃げ道はない。今この場所で自分が頑張れるかが勝負である。


【これまでの人生を振返り、譲れないこと、大切にしていること】
「ワクワク感」
振り返って思うのは、内側から湧き出てくるような熱い想いに突き動かされて行動しているときというのは幸せである。遊びでも仕事でも勉強でもなんでもいい。自分の血を沸き立たせて、時間を忘れて没頭するくらい、ワクワクと夢中になって取り組みたい。

「I am Ready の心構え」
そうして取り組んだところで人生はいつもうまくいくとは限らない、人生には失敗がつきものである。だが失敗したから、まだ何も出来ていないからといって悲観する必要はない。生きていれば必ずどこかで人生の勝負所がある。いつくるとも知れない場面で勝負を決めるため、出番を待つ間常に準備を怠らないでおく。

「There is no finish line. Just Do It!」
人生に終わりはない、終わるときは最後自分が死ぬときだけである。今この場所で、自分にしかできないことをやるだけだ。

最後に一つ
「明日死ぬと思って生きなさい、永遠に生きると思って学びなさい」
これは僕が好きなガンジーの言葉である。


【自分の理想とする銀行員像】
「人として向き合う」
金融の原点はやはり、個人として人と人とが向き合う「顔の見える金融」だと思う。ごまかしのきかないそうした場面で、いかにして目の前の人の信頼を勝ち得るか。そのために必要なのは、想像力を働かせて相手を思いやり、自分の出来る最大限を提供する姿勢を持つことだ。顔を合わせて人として向き合う場面を大事にしたい。

「自分のチームを作る」
先輩行員の方から言われたこの言葉が強く印象に残っている。会社も社会。社内でもそれぞれが違う仕事をしていて、協力者もいれば対立する人もいる。その中で仕事をして信頼を積み仲間を得る。それが自分のチームになる。良いチームが作れば仕事の出来も違ってくる。お客さんに提供出来るものも大きくなる。

「稼げる人になる」
それには何よりもまず、自分が力を付けて稼げる人になることである。そういう能力のある人は頼もしい。人から頼りにされるような、そんな銀行員になるのが理想だ。


【社会人になるにあたっての決意】
人間は、社会を作って生きている。社会とは支え合う仕組みということだ。それはいつの時代も、世界のどんな場所でも変わらない。

学生から、社会人になった。今までも僕は周りの人に恵まれてきたと思う。これからはさらに、周りの人と助け合って生きていくようになる。

司馬遼太郎は21世紀を生きる若い人たちに「自己を確立せよ。自分に厳しく、相手にはやさしく。素直でかしこい自己を。」というメッセージを遺した。僕はこの言葉に非常に共感する。人と支え合うためには、まず自分が「頼もしい人格」を持たねばならない。

僕は20代のうちに国境をまたいだ挑戦をしたいと思っている。機会を見つけ、世界の一流を目指して海外に飛び出すつもりだ。それが自分の「頼もしさ」につながると思っている。

偶然に左右され幸運に恵まれて、今自分はここに立っている。社会で人と生きるため、頼もしい自己を確立するため、リスクをとって失敗を恐れず挑戦したいと思う。

2011年3月20日日曜日

キャリアデザインの講演にあたって


この文章は、2010年4月の研修中に、キャリアについてまとめた文章。
今読み返すと頭でっかちで理屈っぽい、そしてアイデアベースの語りぶりだ。
自分が「登りたい山」はどこかという目指す道筋がはっきりと見えてこないままだと、
この文章のような曖昧なスタンスに終始するだろう。


【なぜ就職なのか】
なぜ今就職なのか、それは挑戦をすることで更なる高みを目指すためだ。働く、学ぶ、働く、学ぶのサイクルを続ける挑戦を経て自分の人格を磨いていきたい。自分が学ぶべきことはまだまだ沢山ある。自分はまだ勉強不足だ。留学や大学院に入り勉強をしたい。私が働くというのは学ぶことをやめてしまったからではなく、より多くを学べるようになるためだ。学校という組織に所属してもう20年近くになる。確かに小中高大と学ぶ場所や内容は変わったが、基本的に先生に教えを受けるスタイルで学んできた。大学になると自分で主体的に学ぶ学問に取り組んだ。これはまた異なる学び方だが、それでも大枠は一緒だ。学びは社会のため人のためになるかというよりも、どちらかというと自分のためであることが多い。就職することはこの姿勢とは根本的に異なることである。誰かのために何かをして人間関係の中から学ぶプロセスである。学校で学問だけ学んでいることも可能だが、それでは自己完結してしまい自分が生きている意味がないのだ。長い学校生活を経て、人生からに閉じこもって自己完結しないため就職する。それが私の挑戦である。



【働くことと生きる意味】
生きる意味を考えるとき、どうしても自分単体では考えられなくなる。無人島で一人孤独に生きることに果たして生きる意味はあるだろうか。今孤独であっても、誰しもいつかどこかで人とつながりたい、つながっていたいという思いを持っているのが自然ではないか。そうであるならば生きる意味とは、人と共に生きることにある。そもそも人と共に生きるためには、他の誰かに何かを与えることがなくてはいけない。なにか自分生み出したものが、人にとって意味のあることで、いつかどこかにそれを必要としている人がいることが望みだ。ここにおいて働くことは生きる意味と密接に関わっている。働くとは社会と自分がどう関わるかということである。社会の中で自分はどういう役割をこなせば、社会にとって、身の回りの人々にとって良いことなのか。仕事は社会から与えられるものだ。仕事を与えられるために自己研鑽し人格を磨き仕事が与えられる人物に成ることによって、人は仕事を得る。人と共に働くとき自分は自分が存在していると感じる。喜怒哀楽を共にすること、協力して何かを達成すること。そのような機会を作ることが働くことであり、作る場が職場であり会社である。どんな仕事にも誠実に本気で取り組むことで、社内外の人からの信頼を築き、頼りがいのある人間になる。そしてより大きな意義のある仕事に取り組めるだけの人を巻き込む力をつけて仕事をしたい。




【「節目の時代」を迎えて―日本に必要とされることは何か。】
私たちの生きる日本は「節目の時代」を迎えている。日本は少子高齢化によって2006年から既に人口減少局面に入った。なぜこれが節目かというと、人口減少とは世界歴史の中でも人類がいまだかつて経験したことのない局面であるからだ。人類は戦争や災害による減少を除いては、常に人口増加の歴史を歩んできた。今の日本は、世界で最も安全で平和な社会にも関わらず人口が減っている。こうした「ダウンサイジング社会」における将来像はいまだ不透明であり、人口減少を食い止めようとすることばかりが政策として取り上げられる。しかし、視点を変えて考えてみたらどうだろうか。つまり人口のコントロールはいったん棚に上げて、人口減少社会における新たな将来像を提示する試みである。人類がいまだ経験したことのない平和なダウンサイジング社会に日本は最も早く突入する。社会の進化史観に基づけばこれは悲劇であるけれど、社会は右肩上がりに進まない、上りもあれば下りもある、循環するものと考えれば、これは悲劇でもなんでもない。ダウンサイジングしていく社会のモデルケースを世界に提示するチャンスを日本は今手にしている。そこに日本の進むべき道がある。
ではその進むべき将来像とはどういうものか。すでに、その萌芽はいたるところに見られる。一つは子供と高齢者をいたわる社会である。人口減少局面では高齢者の割合が増加する。高齢者の住み良い社会を目指さなくてはならない。つまりユニバーサルデザインやバリアフリー社会である。また、そういった社会を将来支える子供は今以上にとても貴重な存在になる。子供を育てることは社会的な営みになるため、母子を支援する社会的枠組みや事業を整備しなくてはならない。既に老人ホームのような住宅分野は、社会的要請に応えながら事業として成立している。まだ不十分だと思われるのが、子供に対するアプローチだ。まだまだ、子供を産み育てやすい環境づくりに事業がない。保育所がない。潜在的ニーズがあることは間違いない。
もうひとつは高密度効率化社会だ。人口減少社会では社会インフラも人口に合わせ縮小していく必要がある。ここに公共事業が今度は逆のかたちで生まれる。つまり、ダムを取り崩す事業、道路を狭くするような事業が必要となるということだ。国土保全の観点から都市への一極集中は好ましくないが、住んでいる場所はそのままに、インフラはコンパクトで高効率なものに作り替えるといった作業が必要になる。また、ここに環境技術は使われるだろう。たとえば僻地に大規模な電線網を配備する必要はなく、風力発電であるとか太陽光発電でことが足りる。インフラを取り壊すまでにいかなくとも、施設や土地は余る。休眠資産の活用にも新たな可能性がある。




【日本に新陳代謝をもたらすために、自分ができること】
節目の時代を迎えた今、日本には聖域なき新陳代謝が必要なのだ。それは産業を問わない。1億3千万人時代から1億人を切る時代へ。金融産業にもできることはたくさんある。そもそも必要としているところへ資金を流し、産業の新陳代謝を促すことが金融機関の大きな役割なのだから。健全な資本市場の育成によって企業の買収・合併を促すことも金融機関にできることである。子供や高齢者をいたわるために、ニーズに沿った新たな金融商品を開発することも、環境技術への刷新を融資によって促すこともできる。ただし当たり前のことだがなかなか自分がこう考えたとしても、なかなかデザイン出来るものではない。自分が影響を与えるできる範囲は非常に限られており、社会の物事にはその範囲をはるかに超える多くの人が関わっているので、大概は流れに身を任せるだけである。だがしかし、チャンスは一様に巡ってくる。そのチャンスをモノにするため、I am Readyと常に準備していなければならない。限られた環境下、限られた機会においていかに自分が立ち振る舞うか、それが問われているのであり、それが「キャリアデザイン」なのだと思う。