2013年3月24日日曜日

スーツと社会貢献


今日はスーツで勝負をしている原ちゃんのスーツ講座in天満でした。

今日気づいたこと。

①同時代の人が共有する社会的課題の認識は必ずあって、それは新聞などのメディアでよく取り上げられる自分たちも認識している課題

②メディアはそれを政治的課題として、行政や政府に解決を求めるけれど、じつは解決策はあらゆる分野に求められるべきもの。

③メディアがそうした課題を政治問題に帰着するのは、それが第三の権力としての役割だから。一企業一個人が責任を負ってたとしても、それを糾弾するのはメディアの役割を逸脱する。

④メディアに糾弾されないとはいえ、課題解決に責任を感じる企業や個人はたくさんいて、それぞれ動き出している。

それに気づいたのは原くんの「スーツを通じて、人と人がつながったり、コミュニティができたり、途上国の発展に貢献できたら良い」という想いを語っていたから。社会の不公正や不条理に疑問を感じる想いやそれに伴う行動は否定できない。

「スーツを通じて世界を変えていくんだ」くらいの選択と集中がないと、なかなか人は動かないよね。

2013年3月17日日曜日

島根と公共事業



友人を訪ねて島根に行ってきた。かれは国土交通省からの出向で県の道路整備を担当している。
島根で感じたことを書き残しておこうと思う。

「コンクリートから人へ」というスローガンが民主党政権の初期に盛んに喧伝された。私も、共感を覚えなかったと言えば嘘になる。しかし、実際の政権運営がたどった道のりと同じく、このスローガンはナイーブで脆く崩れやすいものだということが、短い滞在の中で感じとることができた


(1)根強い公共事業へのニーズ
地元ではコンクリートに対する需要には根強いものがある。実際問題、未整備の道路もあるし、道路は生活を便利にする。都市へのアクセスが短縮されるし、隣町へも行きやすくなる。新しい道路を幾つか走ったが、ワクワクするし気持ちがいい。島根の風景は当たり前だが東京と全く異なる。海(宍道湖)と山に囲まれ、大自然を縫うように整備されているのが道路である。自然が大半を占めていて、人知の及ぶ地域は一部なのである。当然、自然の力はたくましく、公共事業は人が自然と共生し快適に暮らしていくためには欠かせない。

(2)雇用を生み、活気をもたらす公共事業
道路は地元に仕事を提供し、人の生活を仕事の提供で支える。インフラづくりは技術屋のロマンであり、自然風景に溶け込みながらも雄大に構えている陸橋もまた自然に負けるとも劣らない美しさである。町中に点在する道路整備の工事現場は、時間がゆっくり流れのんびりとした地方都市で、人が生き生きと生活している証だ。漁港が活気あふれるように、重機が活躍する工事現場も活気がある。島根で見かけた公共工事の工事現場は、どれもなぜか明るく活気があるように感じた。東京でみかける工事現場はどこか薄暗く、人目を避けるようにしてあるが、地方の現場は逆である。インフラを求める人々の気持ちが理解できたような気がした。都会に住んでいる自分にとって便利は当たり前であったが島根は違った。なにもないところに道路を切り開くというような、先進性、将来性を感じた。

(3)理にかなう公共工事の誘致
地方自治体で国の財源を充てにして、開発を進めようとする試みは至極真っ当なものだ。いくら国の財政が厳しいとはいっても、財源を引っ張ってくることで生活が便利になり、仕事が生まれ、まちが活気づくのであるから、そのために一生懸命取り組むことに何の後ろめたさもない。地方の利害関係を代表する地方自治体にとっては、地域の発展と安定のためにも、公共事業は不可欠である。


こうした点をふまえると「コンクリートから人へ」というスローガンがとてもナイーブな主張に聞こえてくる。人々は「コンクリート」に、地方の発展と生活の充足、夢やロマンといった熱い想い、活気、といった様々な想いを託しているのである。あえて政治家が「コンクリートから人へ」というスローガンを掲げるのであれば、その対案はそういう人々の想い、感情に応えるものでなくてはならない。
そもそも、コンクリートと人は対立項ではない。コンクリートに金をかけていて人が育たないことはなく、むしろコンクリートが仕事をもたらし人を育てているという面もあるのではないだろうか。インフラを求めるあまり教育がないがしろになっていることもない。それらは別物なのである。

コンクリートを希求する人々の想いに応えつつ、時代が求めるシフトチェンジを目指すにはどうしたら良いか。友人からは最近のトレンドとして震災、災害対策、特に原発対策があがっているときいた。原発事故が起こった際の避難経路を確保するための道路整備である。道路は人の生活、命を守るためにある。なぜ道を作るのか。なぜ人は道路を求めるのか。その本質を見つめ直す必要性を感じた滞在だった。