2011年10月30日日曜日

ブラック・スワン

 最近公開され話題になった映画「ブラック・スワン」は、ナタリー・ポートマン演じる無垢なバレリーナが、「白鳥の湖」のプリマに抜擢されたプレッシャーや人間関係に悩み、徐々に精神を壊していくスリリングな展開が衝撃的だったが、一般的な経済学理論を真っ向から否定するタレブの「ブラック・スワン」も映画に勝るとも劣らないスリリングな主張である。




 タレブの「ブラック・スワン」は、「理論」という言葉ではくくることのできない、思想であり哲学であり、世界を捉えるひとつの見方(認識論)である。それはきわめてシンプルなものだ。タレブの主張は、私達は統計的に有意「ではない」事象、つまり「まぐれ」のような滅多に起こらない事象を過小評価しすぎる、というもの。人間は、世界が何らかの構造を持ち、いつも通りで,理解可能なものだと見なす傾向がある。故に、滅多におこらない事象が起こった場合の影響は計り知れないものとなる。彼のこの主張が脚光を浴びたのは2007年からの世界金融危機においてであることは周知の通りだが、彼がしつこく批判するのは「ベル型カーブ」(正規分布)の世界認識であり、世界はより「ランダム性」「予測不可能性」「非線形性」であふれていると主張する。

 タレブの主張は古くて新しいものだ。古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、それを「無知の知」という言葉で表現した。人間はこの言葉を知っているにもかかわらず、いつの時代もハッと胸に突き刺さるのは、私達がいかに無知であるかを忘れてしまうかの証左である。人間は、年を重ねるに従って知識と経験を身につけ、あたかも自分達は世界をよく理解しているという錯覚に陥りがちだ。しかし、世界は私達の理解とは無関係に存在するものであり、本来的に測りしえないものだ。このことを再び痛感したのが、2011年未曾有の被害をもたらした東日本大震災であり、絶対安全と言われていた福島の原発事故である。私達は既知の知識や経験を過信し、傲り高ぶってはいなかっただろうかと感じざるを得ない。

 私達はタレブの主張から何を学ぶべきか。映画の「ブラック・スワン」では、主人公が現実とも幻覚とも分からない未知の状況へ追い込まれていく展開が観客を震え上がらせた。いつまた未知の事象に遭遇するか分からない状況は映画の世界に限らず、私達の生きる世界も同じである。さらに言えば、映画のような2時間で終幕という制限時間すらないのが現実の世界である。それは恐怖ではあるが、それが私達の生きる世界なのであり、そうした無作為な世界のあり方を謙虚に受け止める態度が最低限求められる態度である。その上で、奇しくも彼自身が著作のベストセラーから一躍有名となったように、予測不可能な結果から幸運をつかみ取る姿勢、これもまた彼の主張から私達が学びとりたい姿勢である。

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