2011年11月27日日曜日

マザーハウスというストーリー

ご存知の方も多いだろうが、私が心から応援している会社の一つにマザーハウスがある。

先週末、マザーハウスのバッグを衝動買いしてしまった。帰り道たまたま友人が働いているマザーハウスのお店に寄ったらその日発売のバックが置いてあった。


http://www.mother-house.jp/collection/brand/mens/menstoplist/mg11120.php


以前から旅行に使えるボストンバックが欲しいと思っていて、デザインも気に入ったので、普段は倹約と熟考を心がけているつもりが、思いがけずの購入だった。

皮革の質感にくわえ、持ち運びしやすそうな軽さ、間口の広い形状、中のルンギ生地のさりげなさ、旅行にちょうど良い大きさといった「デザイン」に惹かれたのは言うまでもない。だが思わず購入してしまった理由はそれだけではない。私が気に入っているのはなにより、このバックとマザーハウスという会社にまつわる「ストーリー」である。

代表の山口絵理子さんのことを知ったのは、彼女の著書「裸でも生きる」(講談社BIZ)からだったが、この本の衝撃はいまだに忘れられない。最初読み始めたとき、彼女は周りにもいるような、開発経済に興味を持つ普通の大学生に思えた。だがそれは読み進めていくうちに、全く違っていたことに気づいた。彼女は国際開発機関でのインターンに疑問を持ち、途上国の現実を知りたいがためバングラデシュに単身渡ったかと思うと、なんとそのまま現地の大学院に通いだした。そして「途上国から世界に通用するブランドをつくる。」という強い想いを胸に、バック製作を学び、現地で工場の裏切りに何度も遭遇しながらも、自らのデザインしたバックを生み出したのである。


詳しくは本書や当社Webサイトのメッセージ(http://www.mother-house.jp/company/message.php)に譲るが、彼女の情熱は別のこの言葉に集約されている。




「バッグは沢山見てきたけれど、そのバッグを買うことの深い意味を人に語れるバッグが欲しくて」(山口絵理子)


「夢を現実に落し込んでいくような会社をつくりたい。」(山口絵理子)




彼女がつくっているのは、「バック」だけではないのだ。それは、そのバックが形になるまでの悲喜こもごもの「ストーリー」であり、そうした「ストーリー」を現実のものにしていく「会社」である。
雑誌の記事かどこかで誰かがこのようなことを語っていた。


「客は、「ストーリー」を買っているのだ。客は、単にバッグを買いたいのではない。大げさに言えば、最貧国のアウェーの環境で戦い続ける、若きベンチャー社長のファイティングスピリットの「象徴」であるバッグをこの手にしたい。そんな気持ちが湧いてくるのではないか。」


まさにそうだと思う。私が衝動買いしたバックを手にした時の感覚も、まさにこのようなものだった。このバックにはバングラデシュの直営工場・マトリゴールの移転記念エンボスが押されている。代表の山口絵理子さんをはじめとして、日本のスタッフ、バングラデシュのスタッフとその家族、それを支えるたくさんの人々の想いが詰まったバックだ。マザーハウスのトップページに掲載されている現地マネージャー・モインさんの生き生きとした表情と揺るがぬ想いは感動的である。(http://www.mother-house.jp/


「物語はモノ語り」とは良く言ったもので、私たちの身の回りにあふれるモノには、マザーハウスのバックのように「ストーリー」が詰まっている。モノは、言葉を発しないために普段はなかなか気づくことがないが、改めてモノと向き合ってみるとそこには必ずそのモノの歴史があり、関わる人の想いがある。そうした決して言葉で発せられることのないモノのストーリーに耳を傾けることは、生活や人生をとても豊かなものにしてくれるだろう。高度な消費社会に生きる私たちは、そうしたストーリーに耳を傾ける心の持ちようをなくしてしまってはいないだろうか。


この会社の行っている事業は、近い将来の社会のあり方、人々の生き方を映し出しているのだという手応えを強く感じる。会社もストーリーを現実の形に落とし込んだひとつのモノである。語ることはつきないが、これからもいろいろと応援していきたい会社だ。




0 件のコメント:

コメントを投稿