2013年2月11日月曜日

寺と学問、アート




「この日の学校in 京都」終了。森田真生先輩(http://choreographlife.jp)に参加費を献上してきた。会場となっていた法然院という場が新鮮だった。

ここ何度か観光地化された京都の寺院を観てきて、あんな形でアミューズメントパークとして寺院を後世に残していくのも一つの戦略だけど、そう出来ない寺院は別の戦略を取らなきゃならないんだろうと思ってた。


一つの解が今日の法然院(
http://www.honen-in.jp)にあった。それはアートや学問の受け皿としての寺院。寺院は何百年も前から、戦乱期も含めて、長い間文化や学問の守護者であった。これからもそうであり続けなければならない。それは、仏教学や仏教文化という狭い意味ではなく、広く捉えなおされなくてはならない。

寺院は宗教的空間として、人間の苦楽、生死を受け止めてきた。であるならば、葬式をする場所以上の意味合いを持たせることができるとおもう。


法然院の廊下には、書物がぎっしり詰まった本棚がおかれ、京大の哲学者をはじめとした「教養人」の文章が引き伸ばされて展示してあった。学問の守護者たる寺の表明のように私の眼には映った。


法然院のwebサイトにも「法然院サンガ」(http://www.honen-in.jp/HONEN-IN-N-J.html#A)という題名でその想いが綴られている。貫主の言葉を引用しておこう。



私は、寺は、いわゆる布教活動や先祖供養の場としてだけでなく、社会的役割を離れた個人の出会いの場、アーティストを育む空間、地域活動の拠点など、様々な役割を果たしてゆくことができると考えております。法然院には、皆様方の日常とは違った時間が流れていると思います。特に念佛を唱えていただかなくとも、当院に集われる皆様方が、普段とは違う自分を発見していただいたり、○○会社の社員としてではなく、一つのいのちとして他のいのちとのかかわり方を見つめ直していただければ、誠に幸いでございます。


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