2014年10月1日水曜日

機能的な伝統工芸品

伝統工芸は機能的であらねばならない

伝統産業の衰退が言われて久しい。京都で働く私も伝統産業に触れる機会が多いが、いい話をこれっぽっちも聞かない。なぜなのか。

中には元気に仕事をしているところもあるが、それは限定的だ。そういったところは、創意工夫を持って新しい商品を世に出したり、海外で評判になり認められるところが中心である。この差は何か。

最近気づいたのは、伝統工芸品が便利でないという点だ。どちらかというと私たちが伝統工芸品に手を出すとき、それは美しさとか手間ひまかけた一点ものだとか言った点に着目する。とくに美しさという点だろう。高くてもその品物を手にしたいのは、プラスチック製の工業製品では得られない満足感があるからだ。
それにしても高すぎる。そして美しさにはトレンドがある。流行り廃りがある。私にはどんなに輪島塗がうつくしくてもどうしたって、iPhoneのほうが魅力的だ。

伝統産業はいつから機能性をないがしろにするようになったのだろうか。機能が美をもたらすのではなく、美が機能のようになってしまっている。確かに美という機能もあるかもしれないが、アートの世界で安寧してしまうには量産的であり、物足りない。

伝統工芸品はあくまで生活の中の一機能を担うべき存在だ。官能的であろうとするあまり、機能的な側面を失ってはしないか。たしかに和服は美しい、それは最大の魅力ではある。しかし、着にくい動きにくい服を日常に使おうとする人はいなくなり、その美は次第に色あせてしまうだろう。


私は伝統工芸の機能性に注目したい。技術とは機能であるべきだ。機能性をもたらさない技術は廃れていくしかない。逆に、機能をもたらす技術は、時代がどう変遷しても生き残るだろう。

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